茶の湯展@東京国立博物館平成館

美術

この記事では、東京国立博物館平成館で開催されている茶の湯展へ行ってみたので紹介と感想を書きます。

 

正直なところ、私はもともと「茶の湯」だの茶道だのには全く興味がありませんでした。

なんか足がしびれるまで正座させられるイメージがあって、むしろちょっと敬遠していたかもしれません。

しかし一方で、日本で生きていると茶の湯の知識があればより楽しめることというのが色々とあります。

例えば、

「信長の野望」をやっていて、配下の武将に「なんとか茄子」とか「なんとか肩衝」とかいう茶器を渡すと忠誠度が上がる

とか、

「開運!なんでも鑑定団」という番組で「曜変天目茶碗」がお宝として評価された

とか。

そこで

物事を知らないで食わず嫌いのまま一生過ごすくらいなら、知って楽しむ方がお得な人生を過ごせる!

という私の信念に基づいて、茶の湯展へ行ってみることにしました。

 

茶の湯とは?超ざっくり説明

家の主(亭主)が訪れたお客さんに対してお茶をふるまうことでもてなし、またお客さんがもてなされるための様式・お作法を古来は茶の湯と呼び、江戸時代から茶道と呼ぶようになりました。

要するに「お茶」を介してはいますが人に会う時のコミュニケーションのお作法であると言えると思います。

 

具体的にどういうことをするのかというと、回転寿司屋のお茶を想像してください。

回転寿司屋のお茶はお茶の粉を細かい粉にした抹茶ですが、まず抹茶を湯のみにちょっと出しておいてお湯を入れますよね。

基本はあれです。

というわけでお茶の席でやってることを本当に超ざっくり言うと、

亭主は茶釜でお湯を沸かしておき、抹茶を茶碗に少し入れて、お湯を入れて混ぜてお客さんにお出しする、という感じです。

茶の湯展の概要

国立博物館で開かれている茶の湯展の内容を一言で言えば、

茶の湯の歴史ハイライトを中世(室町時代)から近代(明治~戦前)までざっくりと概観する

ということとなるかと思います。

つまり、「茶の湯」とか「茶道」の歴史について前知識のない人が

ほほうなるほど、茶道とはこういう風に成り立ってきたのか。。

と理解するのにちょうど良い内容だと思いました。

 

ものすごくぶっちゃけると、茶の湯が室町時代から安土桃山時代にかけて勃興した理由は一言で言うと「殺し合いの時代」だったからで、

殺し合いをしている現実を一瞬でも忘れるために茶の湯というものがあるんだよ!

ていうことなんだろうと思いました。

茶道具にはどんなものがあるか

茶の湯展へ行けば日本における茶の湯の歴史はわかりますが、展示されている茶道具については基本的知識がある人向けの展示となっていて、前知識のない人にとっては多少分かりにくいと思いました。

茶道具にも色々なものがありますが、ここでは茶の湯展で頻出する道具についていくつか紹介します。

茶碗と花入はさすがに何に使うのか分かりますよね。ていうかご想像の通りです。

茶壷・茶入・棗

茶壷・茶入・棗は抹茶を入れておく容器です。棗はなつめと呼びます。

茶壷はおおむね高さ20センチを超える大きい容器です。

茶入は概ね高さ10センチ程度以下の小型容器で、陶器製のものです。

棗も高さ10センチ程度以下と小型ですが、木製のものを指します。

お客さんをもてなす時には、茶入や棗からちょっとずつ抹茶を出して茶碗に入れていくということになります。

茶杓

茶杓は、茶入などから茶碗へちょっとずつ抹茶を出すための小ぶりな匙(さじ)で、耳かきのような形をしています。

また茶杓は筒状の容器に入っているのが普通です。

香合

こうごうと読みます。

香合はお香を入れておく容器です。直径5センチ以下の小さなものが多いです。

茶の湯で使うお香は熱すると薫るので、お茶を沸かす炉に入れて香りを出すのですが

お香についてはおそらく茶の席で話題になる事が多いためにサンプルを一つ小さい容器に入れて亭主からお客さんへ回して見せるようになり、そのための容器として凝った香合が発達してきたものと思います。

水指

みずさしと呼びます。

水指は水を入れておく容器で、湯が沸いた茶釜に水を足して温度調整したり茶碗などを洗うための水として使います。

茶道具特有の呼び名

茶道具の呼び名には独特の「固有名詞っぽい一般名詞」がいっぱいあって、これが茶の湯が日本文化っぽいと思わせる要因でもあると同時に、知らない人にとってはとっつきにくくなってしまう原因でもあると思いました。

そんな茶道具特有の呼び名の中から、茶の湯展で出てくるものをいくつかご紹介します。

天目茶碗

天目とは茶碗の種類で、中世に中国(主に宋)で作られた輸入品です。

天目とはもともと何なのかというと中国の地名で、お茶の産地だったようです。

形は今の家庭でよく使われているご飯を盛るお茶碗と似た円錐を逆さにしたような形をしており、今茶道で良く用いられている茶碗に円筒形が多いのと比べると逆に特徴的です。

他に特徴としては釉薬(うわぐすり)の材質に鉄が含まれていることがあります。

釉薬の配合や技術には色々なものがありますが、特に美しく見えるものが輸入された当時から今に至るまで珍重され、ランク付けされています。

その美しく見える天目茶碗の最高ランクが「曜変天目」「油滴天目」なのです。

茄子・肩衝

茄子はなすび、肩衝はかたつきと呼びます。

これらは茶入の容器の形のことを言っています。

茄子は容器の上の口がすぼまった形をしているからナスっぽいねっていうことで、肩衝は容器の上の部分(肩)が張り出した形をしているから肩がついて出てるねってことでついた呼び方が500年も続いているというわけです。

黒織部

千利休の弟子には武将が本職の人も多かったのですが、その中で3人主な武将を挙げるとすると細川忠興、古田織部、織田有楽斎となるでしょう。

3人の生涯や武将としての活躍はマンガ「へうげもの」やWikipediaで見て頂くこととして、古田織部は茶碗などの容器について斬新なデザインを考えて、陶工に作らせたことで有名です。

茶の湯展では「黒織部」と呼ばれる真っ黒な釉薬をたっぷり塗った茶碗がいくつか展示されています。

モノトーンでビビッドな色合いは、当時としては画期的なものだったでしょう。

茶の湯で名を残した人々(利休以外で)

足利将軍家

この「茶の湯展」で展示されている物の前半4分の1くらいはほとんどと言っていいほど室町幕府の最高権力者だった足利将軍家に関係するものです。

特に名前が良く出てきて印象に残ったのが足利義教。

足利義教は室町幕府の6代目の将軍ですがもともと僧として出家していたのが武士に戻って将軍になったり、将軍の力を強く保とうとして豪族と宴会外交をしていたら宴会に招かれた時にだまし討ちで殺されたりと数奇な運命を辿った将軍でした。

要は足利将軍家の力を保つことにささげられた人生だったのですが、将軍の威を誇示するために贅沢な輸入物の茶道具を多数使ったということなのでしょう。

山上宗二

山上宗二は千利休の一番弟子的ポジションの茶人でしたが、豊臣秀吉の怒りを何度か買ってしまい、最後は耳と鼻を切り落とされるなど惨殺された人物です。

切腹させられた千利休と言い、家族全員惨殺された豊臣秀次と言い、豊臣秀吉の部下に対する殺しっぷりは織田信長よりも実は恐ろしかったのではないかと思いました。

利休や宗二といった自らは武力を持たないけれど影響力のある有名人は権力者による見せしめの格好の的だったのかもしれません。

上でも書きましたが、いつ殺されるか分からない状況だからこそ、それをひと時でも忘れるための技術として茶の湯がこの時代に大きく発達したのでしょう。

仁清

にんせいと呼びます。

平和な江戸時代に入りさまざまな分野の職人により手工芸技術が花開きましたが、仁清は江戸時代初めにおける陶器制作技術の天才で、現代まで知られています。

ろくろを巧みに使って精緻な形の陶器を作る技術と、そこに鮮やかで精細な絵を描く技術の両方に長けていました。

茶の湯展の目玉展示の一つ「色絵若松図茶壷」を見れば仁清すげえ!!と感動すること請け合いです。

おわりに

少し長くなりましたが、茶の湯や茶道について知らず、興味のない方々向けに茶の湯展の紹介と感想を書きました。

東京国立博物館平成館で2017年6月4日までの開催です。

タイトルとURLをコピーしました