この記事では埼玉県行田市(ぎょうだし)について紹介します。
埼玉県行田市と聞いてすぐに位置やどんな所なのか想像できる方はあまりいないのではないかと思います。
でも、「忍城」というお城の名前は歴史や歴史ゲーム好きなら記憶に残っているのではないでしょうか?
この忍城は近年、「のぼうの城」という小説や映画で脚光を浴びました。のぼうの城というタイトルには聞き覚えがある人が多いでしょう。
行田市へのアクセス
忍城のある行田市中心部へ行くには、上越新幹線またはJR高崎線(上野東京ライン・湘南新宿ライン)で熊谷駅まで行き、秩父鉄道の羽生行きに乗り換えて3つ目の駅「行田市」駅に行くのが最も一般的な方法だと思います。
もしくは、JR高崎線で東京から見て熊谷駅の2つ手前にある吹上駅で降り、行田市方面へ行くバスへ乗り換える方法があります。
秩父鉄道は一時間に1~3本、吹上駅からのバスは1時間にだいたい2本ですので、2~30分間駅でのんびりと待っているのが苦痛な方は時刻表を調べて行かれることをおすすめします。
忍城について
忍城はもともと中世の武士一族の一つ、成田氏の本拠地として15世紀頃までに築城されました。
築城以来16世紀後半までは成田氏が代々居城していましたが、16世紀後半には戦国時代の荒波の影響を被ることになります。
1559年、時の領主成田長泰は越後から遠征してきた上杉謙信に従いますが、その後謙信が越後へ帰ると謙信を裏切って北条氏康(後北条氏)に従います。このため1574年には謙信に忍城を包囲されて火攻めに遭いますが、忍城は持ちこたえました。
その後1590年に忍城の歴史を印象付ける出来事が起きます。豊臣秀吉の関東遠征(後北条氏討伐)の一環として成田氏の居城である忍城が豊臣氏の大軍に攻められたのです。
豊臣軍は石田三成・大谷吉継・真田昌幸はじめ数万名。対して籠城していた成田氏の軍勢は2000名程度。数では勝ち目がないように見えました。
が、石田三成の上手くない攻め方が幸いしたか、忍城は1か月の水攻め籠城戦に耐え抜きました。水に満たされながらもついに落城しなかった忍城は「忍の浮き城」と呼ばれるようになりました。
また、成田氏の領民に慕われる善政が四百年を経た今も「のぼうの城」と言われて伝説となるもとになったのだろうと思います。
行田市役所近くにある水城公園へ訪れれば、当時の浮き城と呼ばれた面影を感じることができます。
結局後北条氏は豊臣秀吉に滅ぼされて関東は徳川家康の領地となるのですが、家康は忍城を重要な拠点と理解したらしく、重臣を配しました。まずは家康の息子の松平忠吉を封じ、その後も「知恵伊豆」と呼ばれた松平信綱や阿部氏など徳川幕府を支えた老中を代々輩出した地となりました。
明治維新に至って忍城は取り壊されてしまいましたが、その後も足袋の名産地として知られるなど近年まで埼玉県北部の主要な都市として機能してきました。
行田名物B級グルメ!
今では足袋をはく人もほとんどいなくなってしまって行田市の名産品は失くなってしまったか。。?と思いきや、最近はB級グルメによる町おこしが盛んになっています。
行田名物「フライ」
行田の街を歩くと、「フライ」を提供する店を多く目にします。
この「フライ」とは小麦粉を水に溶いて焼いたもので、分かりやすく言えばキャベツ量が少なめのお好み焼きです。
お好み焼きが嫌いな人はほとんどいないでしょう。「フライ」は万人に受ける味です。
私は市役所近くにある「寺田」さんで「ミックス」を頂きました。「ミックス」とは、フライとやきそばを合わせたものです。
ソースの味が映えて、とても美味しいです。また400円という安価にもかかわらず豚肉がふんだんに入っていて、お得感を感じました。
行田名物「ゼリーフライ」
行田名物のB級グルメはフライだけではありません。「ゼリーフライ」も行田の名物B級グルメです。
「ゼリーフライ」とは何か?
おからを主原料に、ジャガイモを合わせた生地を揚げたものが「ゼリーフライ」です。コロッケと似ていますが、パン粉などの衣は付けずに素揚げします。こちらもソースがとてもよく合います。
おからが主原料ということは、、ゼリーフライは豆腐屋さんのものが一番美味しいはず!
というわけで、「かどや豆腐店」さんでゼリーフライを買って帰り、家で頂きました。
本当にソースによく合います。また、おからが主原料ということでB級グルメの中ではヘルシーだと思います。
おわりに
この他にも行田にはさきたま古墳公園や古代蓮の里といった観光名所がまだまだあります。
東京から1時間程度で行ける、のどかさと歴史を感じさせる街、行田市。休日にはぜひ一度訪れてみてください。